心理と欲求
2021-01-14
私はお花が好きです。特に大きなお花。カスミソウも好きですが視覚的に大きなお花。牡丹・バラみたいなお花です。ですから、お花屋さんに行くと、「あ~。これかわいい!」と何の日でもないのにブーケを買ってしまいます。「お花があるだけ。」「ちょっと緑があるだけ。」で気持ちがホッとするのです。ですがこれは私の考えです。家族は「何の日?」「すぐ枯れるのに。」と思っているようです・・病院では花は枯れるのであまりお勧めしない。とされています。確かに、ご自分で管理できる患者様でしたらよいのですが、花瓶を用意している患者様はそうそういません。ですからブリザードフラワーのような置いて目で楽しめる置物や、飲み物等の日常生活品の差し入れのほうがいいかもしれません。
話がずれてしまいましたが、「お花がちょあるだけで気持ちがホッとする。」という概念は、私の育ってきた環境が緑やお花が庭にあり、庭からお花をとってきて玄関や、居間に飾る。という習慣があったためです。しかしそうでない環境で育ち、生きてきた夫はそうは思わない。ですから個人の考えの違い、特に共感できない言動。となる要因の一つです。「ほかの人と考え方、言動が違う」ことは悪いことではありません。個性の一つと捉えましょう。
しかしながら、「きれいなお花だね。」と言われること。そんな考えを共有できることの楽しさがあります。「人にわかってもらえること」のうれしさに心が躍る瞬間ですが、これは自分の感情であって、ほかの人はそう思わないかもしれない。と思っていないと、共感されないことに怒りや不安を感じ、それが重なることで、ストレスとなってしまうことがあります。自分の考えに共感されることは人の欲求です。しかしそれを自分以外の物や人に求め、強いることはただの自己満足でしかありません。そして迷惑となる場合があります。
カウンセリングに来られる方の中には、「人から受け入れてもらえないような自分は嫌だ」と感じられている方がいます。だから、そういう自分を隠して、あるいは、はじめから「いないこと」にして、人から受け入れられるように振る舞い、人に合わせようとする。もしくは会話をしなくなっていきます。
しかし自分からそのようにしていながら、一方で「誰もわかってくれない」とも言います。「本当は、自分のことをわかってほしいけど、ありのままの自分では誰も受け入れてくれないだろう。それなら、人から好かれるような自分を演じている方がいい。」という考えでストップしまうのです。しかし、それは本当の自分ではないわけですから、どんどんストレスとなり、精神的・身体的に症状として不調となって現れてきます。
自分自身と向き合うのは、確かに勇気がいることですし、苦しいものです。しかし、自分と向き合い、自分を理解し、それを伝えることができたら、そういう自分を理解してくれる人がいるかもしれません。誰か1人で共感してくれる人がいたら、どんなにうれしいことでしょう。
それに実は自分以外のみんなも、自分を隠しているかもしれません。