ヒーローズジャーニー
2021-12-25
福岡ひとみのヒーローズジャーニー
子供の頃から、医療系のドキュメンタル番組を見るのが好きで、特に看護師さんにあこがれていたのです。
学校は実家から三年間電車で通って看護師となりました。
就職先は実家から近い循環器をメインにしている有名な病院。
所属先も循環器外科で年間に300以上の心臓の手術をこなしていた。
看護の仕事は主に手術前後の管理でしたが、内容よりも、先輩たちからの社会人としての在り方。飲み会、観楓会の強制参加。週一回以上の時間外の勉強会の強制。
毎日の振り返りでは何度も記録を書き直され、宿題を出されました。もう時間は夜の9時、先輩の思っていた答えではない時、毎日直されさらばる宿題を出されました。
「根拠は?」と耳にタコができる程聞かれ、叱咤激励を頂きました。
私は同じ部署に三人新人が配属されましたが、勤務が合った日には抱き合い泣いて。夜ご飯を食べながら泣いて、家族に心配をかけ、夜に宿題をしていました。
夜勤をする頃には病院の近くに一人暮らしをはじめました。特につらい日にはマンションから飛び降りたら楽かな?なんて思う事もありました。
結婚したのが24歳。
19歳から付き合っていた方と結婚しました。
結婚式の準備の途中に循環器内科への移動が決まりました。二年間の経験があったとしてもお構いなし。点滴を準備するところから、先輩の監視下。にあり毎日ピリピリとした人間関係が続きました。
そんなストレスの中待望の第一子の妊娠が発覚。
しかし妊娠は病気じゃないと当時の病棟師長言われ、仕事のない等の変化はなく産休に入るまで夜間の仕事をしていたのを忘れられません。毎日おなかが張る状態でしたが、薬を飲みながら働いていました。
早産するのではないかと不安の毎日でした。
出産してからも、帰宅は夜の9時。夜勤はさすがにありませんでしたが、退勤して息子を迎えに行くと、子供はもう夢の中。
子供との短い大切な時間がどんどん奪われてしまう事に、私は寂しさを感じ、家族関係が壊れるのではないかと不安を感じ、退職しました。
看護師の仕事は出産しても、両立することは可能です。
しかし、家族の協力や、職場の協力体制がないと正社員で働くのは大変でした。
特別扱いはできないという病院もありましたし、時短の要請をしているから、任せられる仕事にも制限があり、
気まずい思いをしながら行っていたこともありました。
しかし、私たち夫婦は、「家族が一番。家庭が一番。家族と幸せに過ごすために仕事をしている。」という共通の思いがありました。
「子供たちちと過ごせる時間は限られている。子供たちに親として伝えてあげられる時間は限られている。」
子供と共有する時間を大切にしよう考えました。
しかし子供はある程度の年齢まで病気になりやすいですから、やはり母の負担はつきものです。
職場に電話をすることが嫌で嫌で仕方がありませんでした。
それだけではなく、看護師として働いていく以上、医療は常に変化してゆきますから、勉強会に参加することが必須です。
子供を置いて参加することはできませんでした。
そんなことを続けていると、「子供ちっちゃいから仕方ないよ。」とわかってくれる職場はまだいい職場です。同じ世代のお母さんが多いところはいいのです。
結婚してない。子供も甥っ子や姪っ子もいない主任以上の役職のある女性看護師は割と理解がえられず、なんど嫌な思いをしたかわかりません。
私は看護師ですが、自己管理が悪いわけではなく、子供の頃から、もやしのように細く、よく風邪をひいて、体育も得意な方ではありませんでした。
出産してからは特に体調を崩しやすくなり、疲れやすく、虚弱でした。
高麗ニンジンを飲んでみたり、虚弱体質の漢方を飲んだり、勤務が過酷な日は栄養ドリンクを飲んで仕事をしていました。重い患者を一人で抱えることも多々ありましたので、腰も手首も膝もといたるところを悪くしています。
しかしこれが私の今の仕事なのです。子供の成長とともに色々と病院を変えざるを得ない状態ではありましたが、体力は必要不可欠です。
子供の年齢が上がると共にかかるお金かかるようになってきました。
私は体が限界を迎えそうでした。体のあちこちは痛み、痛みから仕事ができないようになって、自分に自信がなくなる状態になりました。
「もう働けないのではないか。看護として不要な人間なのではないか。」と追い詰め、うつ状態になりました。
しかしそのころから精神問題や、人の心の在り方について、カウンセリングを行っている海外ドラマを見る機会があり、自分や、家族、患者さんのためにも、勉強しておいて損はないのではないかと思い、家族の相談しました。
「看護師の仕事もカウンセラーの仕事も、人の為になる仕事なんだから、やったらいいよ。」と背中を押してくれました。
勉強していくうちに、将来的に企業を意識するようになりました。
パソコン技術は三か月、朝から晩まで教室に通い、経営の在り方など、についても勉強が必要だとおもい、セミナーにも参加するようにしました。看護師のアルバイトをしながら、勉強をし続けました。
子供が受験だったという事もあり、塾のお迎え、夜食や、テストの準備等もあって忙しくはなっていきましたが、一緒に勉強する時間も確保できましたので幸せ出した。
自分の体力。体調の問題。家族との時間の事を考えると、病院という組織に縛られず、自分の信念を基準にして仕事ができることは、自分にとっても家族にとっても、幸せなことだと考えていました。
そして今年、20年以上の看護師経験で培った、相手の求める事は何かという洞察力、相手の行動から考えられることは何かという観察力。の力をフルに使い、プロの心理士として今夢を実現させました。